ジュリアン有生の「徒然なるページ」

10月6日

第43回  ただの骨折、されど骨折!!

結婚して3ヶ月が経ったその頃、ジュリアンはダーリンと町内会のバレーボールクラブに所属していた。独身時代からダーリンが所属していた男女混合のソフトバレーだったが、二人とも高校時代(高校は別々)はバレーボール部だった事もあり、ダーリンに誘われるままに入部した。毎週土曜日の夜に、近所の中学校の体育館を借りて練習をし、2〜3ヶ月に1度、試合があった。もちろん、町内対抗戦である。大抵の人は夫婦で参加していた。

そして、ジュリアンにも、初めての試合出場のときが来た。新人なれど一丁前にユニフォームなんぞを着て、試合に出る事5分。背が高いジュリアンは、当然アタッカーで、最前列でブロックに付いた。ジャンプした途端、2枚ブロックのもう1枚が男性だったのであるが、その人と空中でぶつかり、跳ね飛ばされてしまった。着地に失敗したジュリアンは、外側のくるぶしで着地した事が自分で分かり、「あ!」と思った。予想通り、立てなかった。ジュリアンは、四つんばいでコートから出て、交代の人を頼んだ。この時点で、新人だったジュリアンは、他の人達から「あんまり試合に出たくないのかな?」と思われていたようだった。ジュリアンの右足がどうも本当に怪我をしているように思われてきて、同じチームの人が車で近くの救急病院へ運んでくれた。

若い女医さんが診察をして「捻挫です」と診断され、シップと包帯を巻かれた。ダーリンは、バレーボールに夢中で、結局、ジュリアンはタクシーで自宅へ戻った。

それから7日。右足は、どんどん腫れ上がり、足首から出ていた内出血は遂に膝まで上がってきた。痛くて痛くて、夜も眠れない。されど、「捻挫」と診断されていたので、ジュリアンは、その足を引きずりながら、スーパーへも行って荷物を一人で持って帰ったり、洗濯や掃除、その他全ての家事を涙をこらえてこなしていた。そして、8日目。「ただの捻挫ではないはずだ」と自分なりに確信してきた。そこで、またまた痛い足を引きずって違う病院へ行った。

医師は一言。  「骨折です」

やっぱり。。。

やはりジュリアンの足は折れていたのである。即ギブスをはめられ、更に不便な状況となった。

ジュリアンがこの時の骨折体験で思った事は、「主婦は怪我も病気もできない」と言う事だ。結局、骨折と分かって、ギブスをはめられても生活はなんら変わることはなかった。

ジュリアンは、アザラシの様に、家の中を這い回り、家事をこなしたのである。

当時、お姑様と同居していたので、事態は更にみじめである。骨折が分かった途端、玄関で待ち構えられ「入院しなさい」と厄介払いされ、「入院の必要なない」と言う医師に無理を言って入院させてもらうも「ベッドが足りないので1泊で退院してください」と言われ戻ってきた嫁ぎ先である。「そんな姿で外に出るな」「役に立たない嫁」四方八方から浴びせられる心無い言葉の数々。

実家にいた頃なら、よっちゃんがやってくれたのに。。。等と弱気になるやら、自分の姿が情けなくなるやら。

しかし、不運にも、頼みの綱のよっちゃんまでもがその1ヶ月前に、庭で転んで右手を、「複雑粉砕骨折」していた為、お互い頼る事ができない状況だったのである。

ギブスをはめるのが遅かった事と、同時に捻挫がひどかった事で、リハビリはかなり長引いた。心無い言葉も、かなり長引いた。

それから約1年半が過ぎた。一ヶ月くらい前から、突然右の足の付け根が痛くなり、立ったり座ったりがしにくくなった。近所の整骨院へ行くと、右足を骨折した時の、変な歩き方が後々まで微妙に残り、右足の付け根の関節が上手く噛み合っていないらしい。

たかが骨折、されど骨折。

心にとっても、身体にとっても、もう随分昔の古傷だと思っていたのに、まだまだ余波が残っていたのね。

皆様、特に主婦の皆様、くれぐれも病気や怪我にはお気をつけあそばせ。それ以上に辛い体験があなたを待ち受けているかも知れませんよ。

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